■じいちゃんが話してくれた特別じゃない戦争の話 じいちゃんに聞いた戦争の体験話。特別感動的でもないし、奇跡的でもない。だけどもうじいちゃんは死んだので俺しか知らない話になっている。だからここに残す。* * *小学生の頃、寝る前とかにじいちゃんに「怖い話をして」とねだると必ず戦争の話になった。子どもの俺は口裂け女とか人面犬の話がして欲しいのに、じいちゃんは必ず戦争の話をした。話は大体決まっていて、「船の甲板にいて戦闘機が襲ってきたら跳弾が危ないから伏せろ」だとか「射撃台が打たれるからちかづくな」というような使いようのないTipsだった。子どもながらにじいちゃんは歳だから気の利いた怪談話とかを知らないんだなと渋々聞いていた。* * *俺が社会人になって家を出て数年したある日、じいちゃんから突然電話がかかってきた。なんと田舎から出て来て、一人暮らしの俺の家の前まで来ていた。平日だったので仕事中だったが早退してじいちゃんに会った。じいちゃんは俺の家に上がるわけでも、観光をしたいというわけでもないというので、仕方なく一緒に近所の喫茶店に行った。適当に世間話をした後、なんとなくじいちゃんに戦争の話を聞いてみた。俺が大人になって戦争の話を聞くのはこれが初めてだった。聞くと、じいちゃんは当時18歳で西日本の港の練習艦に乗っていたそうだ。そして、練習艦での日々を教えてくれた。なんでも戦争末期には毎日のように戦闘機が飛んで来て襲われていた。そこで辛かったのが迎撃するための射撃手を決める方法。戦闘になれば射撃手は最初に狙われるためほぼ確実に死ぬので誰もやりたくない。しかし上官が当日の射撃手を募れば率先して手を上げなければ気絶するまで殴られる。死ぬのがわかっていても手を上げなくてはならない。選ばれた戦友は必ず死ぬという毎日が本当に辛かったそうだ。じいちゃんは運がいいことに声がでかいために伝令係に選ばれることが多く、射撃手には選ばれなかったらしい。運がいいと思いつつ、相当なうしろめたさがあったと言っていた。最終的に練習艦は港で撃沈され、泳いで陸まで逃げて生き延びた。じいちゃんの声がもう少し小さかったら俺は生まれてなかったかもしれないかと思うと当時の人の命の儚さ、不安定さのようなものを感じた。最後に俺が練習艦とはいえ艦船に乗ってたなんてすごいねというと、じいちゃんの目つきが変わってこう言った「違う。わしが練習艦に乗っとったんは落ちこぼれだったからだ。学校で頭が良くて成績のいい奴らは先に選抜されて大和や武蔵に乗ってみーんな死んだ。わしより優秀な奴らみんな笑顔で『さよなら』と言って死んでいったんじゃ。だからわしはあれから一度もさよならと言ったことはない。さよならなんて言ったらいかん。」* * *別にその日は戦争の話をしにきたわけじゃないだろうけど、俺はじいちゃんにとって戦争がどういうもので、「怖い話をして」というとなぜ戦争の話をするのか少しでもわかってよかったなと思った。じいちゃんは、その後ガンが見つかり、突然の訪問の日から半年以内にあっさりと死んでしまった。ガンは告知しなかったそうだが、じいちゃんなりに残りの時間は感じていたのだと思う。もうじいちゃんが死んでから何年も経つ。他の戦争体験の話に比べたら大した話じゃないけど、俺のじいちゃんの話をなんとなく世の中に流しておきたかったので書いた。おしまい。
安全ではないけど安心な築地と、安全だけど安心ではない豊洲って、もうなんかのギャグだよな。 / “築地市場 空気中から基準上回るベンゼン  :日本経済新聞” https://t.co/2ZEMvHbqXd
沖縄水産高校の大野投手は、甲子園で”殉職”した。http://park7.wakwak.com/~team95ers/newpage83.htm 現在、福岡ダイエーホークスで外野手として活躍する(※2002年で退団)大野倫も甲子園の犠牲者のひとりである。91年、大野は沖縄水産のエースとして夏の甲子園に出場、4連戦を含む全6試合に完投し、773球をたった一人で投げ抜きチームを準優勝に導いた。悲劇が酷使の右腕を襲ったのは、決勝戦の対大阪桐蔭戦。試合途中で右ヒジが完全に曲がってしまい、正常な状態で腕が振れなくなってしまったのだ。閉会式では右腕をくの字に折ったまま行進せざるをえなかった。スタンドからそのシーンを目のあたりにした母・良江さんは「あの子のヒジが・・・」と言ったきり顔を伏せ、絶句した。大野は語った。「決勝戦はヒジがパンクして、キャッチボールすら満足にできない状態。痛みも限度を超えると、頭がボォーッとして自分でも何をやっているのか分からなくなってくるんです。試合中、一度も勝てる気はしなかった。だから負けても少しも悔しくなかった。むしろホッとしたというのが実感でした」大野が右ヒジに痛みを覚えたのは、県予選が始まる前の5月だった。熊本県の招待試合で鎮西、熊本工業という強豪校相手に2連投、1日で18イニングをひとりで投げきった。右ヒジの痛みは日を追って激しくなり、それが原因で頭痛を併発、満身創痍のまま県予選を迎える。ヒジをかばって変化球主体のピッチングをすると、チームメイトから「おまえのせいで甲子園に行けんかったら、一生恨んでやるからな」と罵声を浴びせられた。大野にとって仲間の罵声は、監督の叱声にも増してショックだった。合宿所のトイレで、人知れず涙をこぼす日々が続いた。奮闘の甲斐あって甲子園出場。しかし、右ヒジはすでにまっすぐには伸びない状態になっていた。一球投げるたびに、激痛が全身を貫いた。歯を磨くのも左手、顔を洗うのも左手、食事くらいはと右手で箸を持つと、痛みのあまり、幼児のように箸使いがぎこちなくなり、ご飯粒が、箸の隙間から、ぽろぽろとこぼれおちた。決勝戦の朝は、自分の激痛のうめき声で目を覚ました。窓の外を見ると、雨が降っていた。「このまま降り続いてくれ」大野は悲痛な面持ちで、空に願いをかけた。しかし、無情にも宿舎を出る頃は、雨は上がった。同校の裁弘義監督は報道陣を前に、こう気炎を上げた。「大野には死ぬつもりでやってもらいます。かわいそうだが、野球生活が終わるつもりで。やる時にはやらにゃあ・・・」沖縄に優勝旗がこんうちは、戦争は終わらん。ことあるごとにそう言い続けてきた裁弘義にとって、甲子園での”殉職”は至上の美学だったに違いない。しかし、それは「教育」に名を借りた全体主義的色彩の濃い「暴力」以外の何物でもない。さらにいえば、若者の犠牲の上に成り立つ勝利にはいかほどの価値もない。無念さを押し殺すような口ぶりで大野は語った。「雨で1日休みがあったからといって、勝てたかどうかはわかりません。しかし、あれよりは(16被安打13失点)まともなピッチングができたと思う。せめて腕が上がる状態で、決勝戦を戦いたかった。」その年の秋、大野は沖縄の病院で右ヒジの手術を受けた。右ヒジの剥離骨折だった。驚くことに大野は骨折したままの状態で773球を投げ抜いたことになる。「春の時点で実は疲労骨折していた。そこへもってきて甲子園で無理をしたため、骨片がヒジの関節のなかに入り、剥離骨折を引き起こしてしまった。もし、手術を受けなかったら、野球はいうに及ばず、日常生活も満足に営めなくなっていたでしょう。残念ながらピッチャー生命はすでに断念せざるをえない状態でした。それにしても、甲子園とは若い人の体を蝕むためにあるものなのでしょうか・・・」(沖縄県立南部病院・医師)大野の右ヒジには今もくっきりと手術の傷跡が残っている。「高校野球時代のクセで、今でも頭は左手で洗ってしまうんです。そのたびに、辛かったことや苦しかったことが頭に浮かんでくるんです。後遺症なんでしょうねぇ」右ヒジの傷跡は、同時に心に刻まれた傷跡でもある。

この記事自体が体調が悪いときや身内に不幸があったときは、やむを得ず有休を取りますよね。・・・と書き始めていますが、いやそもそもそうじゃないから。

今から70年前に労働基準法なる法律が日本で作られたときに、その担当課長だった寺本廣作氏は、そもそも年次有給休暇というのはまとめて一括取得するのが大原則で、一日ずつとるなどというのは本来あり得ないことだという国際常識を重々承知した上で、しかし敗戦直後で焼け野が原になった日本ではそれをそのまま適用することは難しいというやむにやまれぬ事情の下で1日単位の分割取得というおかしな制度をあえて導入したと明言しています。

「1960年代、70年代のレコードの音と、90年代以降の音を比較すると、音圧がどんどん強くなってきている。特に低音が強い。今の人たちは、低音を一発、聞いたたけで、『うわっ、カッコいい』『ヤバい』とツボを刺激される。

音響が今ほど発達していなかった昔は、作り手はほとんど歌詞でしか感動を伝えられなかったし、聞き手も歌詞から受け取るしかなかったが、今は音響だけでも十分に感動が得られ、音楽を複合的に楽しめるようになった。その分、双方にとって、歌詞の優先順位が相対的に下がったのでしょう」

dayintonight:
“Tavola Fiorita
Jacopo Ligozzi
1617-1619
”

dayintonight:

Tavola Fiorita
Jacopo Ligozzi 
1617-1619

(Source: trulyvincent)

クルマの燃費を、日本ではガソリン1リットルで何キロ走れるかで表しますよね。でも、よその国では分子と分母が逆で、一定の距離を走るのにガソリンをどれだけ食うかで表します。

(中略)

どんな経緯でこんな天地がひっくり返るような違いが起こったのか知りませんけど、日本人は与えられたリソースの中でどこまでやれるかで評価する、西欧人は目指すゴールに到達するためにどれだけリソースをつぎ込まなければならないかで評価するという違いだと考えると興味深いなあ。

新たに出てきた物の影響で後に考案された言葉を「レトロニム」といいます。「固定電話」「白黒テレビ」「回らないお寿司」などが代表的ですね。先日見つけた「汁あり担々麺」も衝撃的でしたが、この間ネットニュースで見かけた「荒れない成人式」という名称も新時代のレトロニムだと思いました。